【幼稚園教諭】幼稚園は子どもが可愛いだけの平和な場所ではなかった。体育会系幼稚園で先輩に気を使い、モンスターペアレントにも気を使い大変だった話。

【幼稚園教諭】幼稚園は子どもが可愛いだけの平和な場所ではなかった。体育会系幼稚園で先輩に気を使い、モンスターペアレントにも気を使い大変だった話。

【性別】女性
【年齢】(仕事が大変だった当時)
25歳

【当時の職業】
幼稚園教諭

【当時の住まい】
実家のマンションで両親と同居していました。

【その仕事はまだ続けてる?もう辞めた?】
転職して、同じ業種の別の職場で働いている





【就職のきっかけと経緯】
短大で幼稚園教諭の免許を取得し、就職活動の際にいくつか見学に行った中の、1つの園に就職しました。
短大に届いた求人票から連絡をし、見学をした際に雰囲気の良い園だと直感的に感じ、試験を受けることにしました。
その他の理由としては、家からバイク通勤できる近さだったこと、幼稚園の大きさが中規模で、行事の内容などにもやりがいがありそうだと感じたことなどです。
試験は筆記や実技の1次試験、実習の二次試験を経て合格し、希望園で働けることとなりました。

【環境と仕事内容】
職員の人数は20名ほど、パートの先生も含めると30名ほどの園でした。
クラス担任、クラス担任の補助(パート)、副園長、園長、バスの運転手、その他課外活動の先生がいました。
クラス数は14クラスあり、正社員の先生がクラス担任を務めています。
学年に1人主任クラスの先生がいましたが、お給料としては月に5000円の主任手当てがつくだけで、後輩の指導はあるものの、仕事内容はそこまで変わりませんでした。
わたしはクラス担任として5年間勤務しました。
私立の幼稚園ということもあり、家庭環境が落ち着いていて、習い事や行事にも意欲的な家庭が多かったです。
休日は暦通りで、夏休みと冬休みもあったので休みは多かったです。
ですが平日は仕事量も多く、休憩時間はなし、持ち帰りの仕事がたくさんありました。
給与は20万円程度で、仕事内容は厳しいのにとても安かったです。

【大変だった時期】
就職した1年目が1番大変でした。




【大変だったこと】
幼稚園の先生になって1年目は、「何がわからないのかわからない」状態で、いきなり1人でのクラス担任を任せられたことが大変でした。
幼稚園という職場は独特のルールのようなものがあります。
わたしが働いていた園では、「先輩にトイレ掃除をさせてはいけない」「新任が誰よりもはやくきて、帰りは最後まで残って鍵を閉めて帰る」などのルールがありました。
今思うとかなり体育会系の園でした。
クラスでの出し物や制作物は、時間をかけて選んでも、先輩とネタがかぶってしまうと後輩が先輩に譲らなくてはいけません。
仕事に慣れていないのに、先輩が選び終わった後に、自分のクラスの準備をしなくてはいけなかったので、余計に時間がかかりました。
通常のクラスの業務がある上に、職員室のお茶沸かしや、園全体の戸締りなど、プラスの業務が多くあったので、仕事を持ち帰ることが多く、就職して1年目は平日なんとか仕事をこなし、週末になるとダウンしていました。
時間でいうと、大体朝7時から夜19時まで休憩なしで働いていたと思います。
1年目では3歳児クラスを任されましたが、19名の子どもたちも園が初めてで泣いていたり、排せつを失敗する子も多い4月は特に大変でした。
体力がかなりいる仕事だと感じました。

【大変だった期間】
就職して2年目になると、初めて後輩ができ、そのころから月日がたつごとに楽になっていきました。




【当時の心境】
とにかく毎日を終えることに必死でしたが、可愛い子どもたちは本当に癒しでした。
先輩や保護者と上手くいかないことがあっても、自分のクラスの子ども達はどんなことがあっても「先生がだいすき」で1番の味方のような存在でした。

【職場が大変だった原因】
園独自のルールがおかしかったと思います。
先輩を敬うことは大切だと思いますが、「誰よりもはやくきて、最後に帰らなくてはいけない」などは今の時代にもあっていないし、いまだに古い時代からのルールが続いているような園が多くあると思います。




【仕事で良かったこと】
大変ではありましたが、1年目からクラス担任を任せてもらえたことは良かったです。
子ども達の成長は本当にめまぐるしいですし、行事がおわるごとに感動がありました。
例えば、3歳児を担当していたのですが、入園した時には毎日お母さんと離れらなくて泣いていた子が、冬の音楽会では、お母さんとバイバイして大きなステージで楽しそうに演奏する姿をみせてくれました。
その子のお母さんが感動して泣いている姿をみて、もらい泣きしてしまいました。




【特にひどかった最悪の出来事】
仕事をする中で1番しんどいのは、子どものことではなく、保護者のことで悩まされることです。
「モンスターペアレント」といって良いと思いますが、園に迎えに来るたびに「あの先生のひとことが悪かった」「園の設備が悪い」「昨日帰ってきたら、すごく喉がかわいていたようだが、水分補給しているのか」など、なにかにつけて文句をいう保護者がいました。
1時間以上、話をされることもありました。
子どもが帰ってからも、掃除や保育の準備があるので、それで仕事が進まないのもとてもストレスでした。
ある時、その保護者が職員室にのりこんできて、「今までのことは全て副園長のせいだ」と言い出しました。
なぜか、「担任の先生は悪くない、全て副園長のせいだ」と、矛先が副園長にむいていました。
ちょうど終礼の時間だったので、他の先生たちも職員室におり、その保護者の話を全員で聞く形になりました。
副園長はいつも現場の先生たちを守ってくれて、頼りになる人で先生たちから慕われていたので、副園長がひどい言葉をあびせられているのをみて泣く先生もいました。
外出していた園長が戻ったことで、なだめてその日は帰ってもらえましたが、こんな風なクレームがいつまで続くのかと、とても辛かったです。
結局、その保護者は転園していきましたが、その後新しい園でどのように過ごしたのかはわかりません。




【相談した人・助けてくれた人】
同じ学年の先生たちや、副園長がよく相談にのってくれていました。
プライベートでは、同じ幼稚園の先生をしている友達に話すことでストレス発散していました。
保護者につかまって話が終わらない時には、副園長が園内放送で「お電話ですので職員室にきてください」と嘘の呼び出しをして助けてくれることもありました。
相談もせず助けもしなかったのは、園長でした。
普段から経営第一で、現場のことは何もわかっていない園長だったので、子どもや保護者のことで相談する先生はいませんでした。

【改善のための行動】
頑張ったことは、どんなに腹が立っても悲しくなっても、その保護者の前では淡々としていたことです。
あまりに理不尽なことをいわれて、言い返したくなることも多かったですが、保護者とのわたしとの関係が悪くなることで1番かわいそうなのは子どもだったので、子どものことを1番に考えるようにしました。
結局、転園していった保護者に対しての対応が上手くいっていたのか失敗だったのかはわかりません。
他の先生たちは味方だったので、その点は心強かったですが、何をしても文句を言ってくる保護者だったので、何か行動を起こして助けることではなく、話を聞いて助けてくれる人がほとんどでした。




【現在の状況と心境の変化】
あれから10年たち、転職して現在は保育園で働いています。
転職したのはその幼稚園での保護者トラブルとは関係ありません。
わたしが働いていたころ、幼稚園はまだまだ「結婚したら退職」というのが普通でした。
当然のようにわたしも退職を選びました。
結婚してからは、保育園の方が複数担任でみれる点など、家庭を持ちながら働きやすい面があったので、保育園を選びました。

【学んだこと】
保護者とのコミュニケーションや、先輩とのコミュニケーション能力は磨かれたと思います。
相手に不快な思いをさせずに、こちらの要求を伝えたり、共感をしめして相手に気持ちよく話をしてもらったりと、仕事以外でも経験が役立っています。



【当時の自分へのアドバイス】
「悩みすぎないで」ということです。
職場だけならいいですが、家に帰ってからも、休日も考えてしまうと本当にしんどくなります。
仕事は仕事で割り切って、プライベートの時間は忘れて、意識して楽しむようにしてほしいです。
今になって思い返しても、何かこちらに非があった訳ではありませんでした。
何をしても、言っても、文句をつけてくる保護者はいます。
子どものことを1番に考えてあげられているなら、「それであっているよ」「悪くないから、自信をもって」とアドバイスしたいと思います。